命の選別

アチキには子供がいない

勿論子供が嫌いな訳じゃない


そんなアチキだけど『人間はどこまで手をつけるんだ?!』と思うニュースを耳にした


以前から、問題になっている事は知っていたけど新たに…


【出生前診断】でダウン症である事が99%分かるらしい


お腹の赤ちゃんに障害があると知って堕胎手術を受ける人がいるのは事実


出生前診断をどう思うかは賛否両論


医学が進歩し、助けられている人が多いのも事実

だけど…


とても考えさせられる問題だとアチキは思うのだ



障害を『障害だと思っていない』という方もいる

※健常者と言われているアチキ。あえて障害者と言わせてもらう。

だけど自分が障害を持っているという事を受け入れられない方もいる


アチキがお世話になっていた方は脳性麻痺だった


知り合いの脳性麻痺の方の中では軽度だった


椅子に座っていれば、脳性麻痺だと誰も気が付かないだろう


その彼は自分が脳性麻痺で介助されなければいけない事を受け入れられなかった


アチキよりも少し年上



彼は言葉にこそ出さなかったけど、引きこもりになる、人との接触を避ける等々…



態度に現れていたのだ


障害を持っている方すべてが、自分の全てを受け入れている訳ではないのだ


そして、お腹の赤ちゃんに障害があると分かっていながら出産をする事に大きな不安を抱えるママもいるでしょう


ただね


奇跡とも言える妊娠


その赤ちゃんを産まないという選択をするのは、不自然な気もするのだ


これはアチキが経験していない事だから安易に言える事ではないけど…


自然界で生きるアチキにとって、この問題は不自然であると感じて仕方がないのだ


無責任と言われるだろう

でも


そう思うのだ


これがアチキの正直な気持ちなのだ


【命の選別】


あなたは、どう思い感じますか?
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No title

例えば末期の病の人、その人は安楽を望んでも周囲の意思によって生かされる
周囲の人は口をそろえていう
「病気の人にも生きる権利はある」と

例えばもしも女性の人で顔にやけどでケロイドでひどい鏡を見る事もできないような顔になったら
その人がもともとは美人だったら
そのよかった頃の経験を知っている訳だけれど、それと鏡を見るのも苦痛の今の差

みんなはどんな状態になってもいきたいと願うものだと、その手助けをしてあげているんだと、盲信しているけれど
理想の状態、理想の姿、と言うものがある以上、「それ」になれない者は生きる事は苦痛でしかない
いきたいと言う望みがあり、自ら生きる事が出来るのは人から望まれる姿を持っている者、またはそれを手に入れられる見込みがある者


理想を目指し、競争レースに入り込めない人は脱落してる
もう脱落しているのに、強制的にレースを最後まで続ける事を強要してる
自然界だったら、そういう者は最初の時に淘汰と言う形で消えている
だから苦しまない
生きられない者は生きられないと言う事でいいんだと思います

生きられないはずの者を生かしてあげて
でもその責任はその人で人生の責任を取らされる

人並みになれず不完全なものを一番嫌がってるのは当人なのに、その人の個性だと周囲は言う
その当人たちは、いやなものをいやと言う権利が剥奪されている

命の選別をしないでと言う人は、今の自分の大満足している人生の状態の自分が選別される立場だと思っている
もっと当人たちの立場に立って、自分もその人の人生をいきたいと思えるか、立場を置き換えてるのに、選別されると言う部分しか置き換えない
全て、例えばひどい病気持ちの体に生まれて、外で出歩けもしない、いつも外を見ながらうらやみながら死ぬまで普通の人生をうらやみながら我慢している
それまで背負う事になるけれど

極端に書けば、最高の状態で、今人生を謳歌できる、誰もがうらやむ、可能性を持つ、一番の最高の身体
そういう状態(またはそういう状態を目指して生んだ、それか当人が目指す事ができる状態に)でなければ生んでも、感謝されるどころか恨まれるだけですよ

命の選別をするなといってる当人たちは
してやってるつもりなんだろうけれど

自分が受け取って嬉しいと感じないものを人に押し付けない事
本当だったら生きられなかったはずの命を無理やり生かしても生きる事はできてないよ

名無しさんへ

貴重なコメントをありがとうございます。百人いれば、百人の思いや生き方があると私は感じています。《命の選択》名無しさんの、おっしゃるように、今の自分に満足しているから私は、この様な内容をブログにアップしたのかもしれません。私は五体満足で産まれてきました。赤ん坊の頃、重い病気にかかり、助かる確率は30%と言われました。幸か不幸か私は生き延び今に至っています。鬱病やトラウマ、フラッシュバック等で苦しくなると、赤ん坊の頃に死んでいたら…と思う事もあります。ですが何とか生きています。名無しさんのおっしゃる【理想の状態、理想の姿、と言うものがある以上、「それ」になれない者は生きる事は苦痛でしかない】と言うのは、障害を持っている人に限った事ではないのかもしれない。私は、そう思いますが、いかがですか?私にも理想はあります。ですが、そうそう理想通りにはなれません。悔しい事ですが。これは努力だけの問題ではありません。そして名無しさんが、おっしゃっているもうひとつ【誰もがうらやむ、可能性を持つ、一番の最高の身体そういう状態(またはそういう状態を目指して生んだ、それか当人が目指す事ができる状態に)】と言う事に関してですが、誰もがみんな可能性を持っていると私は思います。と言うか、信じたいです。確かに寝たきりの方もおられるでしょう。そして自分の運命を恨んでいる方もいるでしょう。ですが100%の人などいないと私は思ってしまうのです。誰かと比べればきりがない。どんな自分でも受け入れるしかない。受け入れられない方は自らの命を絶ってしまう。とても悲しい悲劇です。自然界では弱いものは産まれてこない…そうとも限らないと思っています。障害を持って産まれてくる命は沢山あり、その中で強く生きる命もあります。勿論、力尽き亡くなる命もあります。ただ、名無しさんのおっしゃるように、強制的に生かされる事には、私も反対です。では何故このような内容のブログを書いたのか?私の意見など正直どうでも良いことで多くの方々に知って頂きたかったから…それだけなんです。私の身近にもいます。とても美人な方が事故で美しい顔を失った方。笑顔がとてもキュートな友人は顔面麻痺に。まだ20代前半だった仲間は事故で首から下は全く動かなくなり寝たきり。知的障害を息子に持つ友人。等々、出せばきりがないくらい本当に沢山の仲間が色々な思いを心に持ちながら生きています。ある障害を持って産まれた事に苦しみ、母親に「どうしてボクを産んだんだ!」と罵倒した子もいました。そんな彼は今、家族を持ち幸せに暮らしています。運命という言葉で片付けるつもりは全くありません。ただ1つだけ言える事は《障害を持っていても幸せ。障害を持っていなくても不幸せ》と感じるのは人それぞれだと言う事。そして決して人と比べる必要はないのだと言う事。自分は、どんな形であろうと自分なんだと言う事。障害を持っていないから、そんな事が言えるんだ!と言われるかもしれませんね。そうかもしれません。このお返事も、誤解されてしまうかもしれません。文字は誤解を招きやすいので。嫌な思いをされたらごめんなさい。名無しさんのコメントは、私にとって、とても貴重なコメントです。本当にありがとうございました。名無しさんの毎日が素敵な事で、いっぱいでありますように。ひらベラ
プロフィール

ひらベラ

Author:ひらベラ
北海道出身
14歳から社交ダンスとジャズを始める。
19歳で上京。
劇団マガジンに入団。
その後退団し、現在、鬱病、強迫性障害、睡眠障害、トラウマと闘いつつ地元に戻り恩返しすると同時に、動物、子供、地球を救うべく....模索中。

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